着物でサハラ砂漠を行く

 シリア内戦や過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人殺害の予告などの中、モロッコへ行きました。モロッコは、イスラム教のスンニ派が99%を占めている。面積は日本の1.9倍で人口は3324万人。世界文化遺産は9カ所。
BC3000年頃ベルベル人が住んでいた所にフェニキア人、カルタゴ人が来た、BC25年にローマの植民地となり、7世紀にアラブ人とイスラム教が到来したと言われている。西暦570年頃ムハンマド(マホメット)はメッカに生まれ、640年頃に悟りを開いたそうです。多神教の日本人にはアッツラー(唯一神)は理解できかねます。アルコールと豚肉は禁止されているそうだが、アルコールはブドウ酒、ビールがレストランでは出された。
『月の砂漠をはる〜ばると、、、』の童謡は夢の世界でした。是非行ってみたくて着物で挑戦することにしました。

首都ラバト
エールフランス機は12時55分成田を離陸し、パリ経由にて17時間30分を要し北アフリカの西の果てモロッコの首都ラバトへ現地時間の21時30分(日本との時差9時間)に到着した。
アラブ・イスラム文化と近代西洋文化が混合する都市。1912年フランスの保護国となり、フェイズからラバトが首都となった。1912〜1930年フランス統治時代に作られた近代的な町並みはアフリカ最大と言われている。
 今まで乗った飛行機で最も乗り心地が悪かった。古い機種だったのだろうか?いつものことながらビジネスには乗客がいない。  ホテルラバトインターナショナルのロビーには国旗が掲げられていた。イスラエルの旗は白地に青色の六角形のダビデの星であるが、モロッコは深紅色に緑の5角形星である。 衛兵に守られたムハマド5世廟
ムハンマド5世廟 真紅のモロッコカラーの衛兵。廟の入り口と廟内4隅に立っている 廟内
12世に着工されたハッサンの塔の前で小学校の遠足に出会った。
ミナレットと呼ばれ1日5回礼拝を呼びかける。
大西洋を眺める ウダイヤのカスバ(城壁で囲まれた要塞)
ウダイヤ庭園:スペインのアルハンブラ宮殿を似せた造り。 シャウエンのような白い壁に青い窓枠の居住区
最初の昼食は  烏賊のタジン鍋 ミントテイー:アラブで盛んに飲まれている

世界遺産の【古都メクネス】へ
17〜18世紀に都であった。あのベルサイユ宮殿に負けない都を作ろうとしたそうです。1996年世界遺産に登録。
王宮の壁。ここは『風の道』と言われている。 北アフリカで最も美しいと言われている『マンスール門』、1732年完成 エデイム広場
ムーレイ・イスマルの廟。中央には大理石の水盤のあるパテイオ 漆喰彫刻が素晴らしい 天井のモザイクが綺麗だ

フェイズへ1000年以上続く世界一の迷宮都市、1981年世界遺産に登録された。
イスラム教の祖であるムハマドの婿の子孫が8世紀の末にバクダットのイスラム王朝に反乱を企て、敗れてこの地にイスラム王朝を興し、808年にこの地に新しい都を建設した。ここを拠点にイスラム教が広がっていった。
高台から望む古都フィズのメデイナ(旧街)の全景 9世紀に造られたフェイズエルバリと13世紀に造らてたエル・ジエデイド 13世紀に造られたユダヤ人街(外部に窓がる、アラブには外には窓がない))
リヤ・パル・ウメイヤホテル:リヤドとは、邸宅、こじんまりとしたアットホームなホテル。      夕食時は楽団が演奏をしてくれる。 何処のレストランもパンの種類が多くまた美味しい。
部屋は居間と、寝室の2部屋があり広い、バストイレがついている 噴水のある中庭とルーフトップテラス、プールもある。外部には窓がない メデイナの入口1913年に建築された幾何学模様が美しいブー・ジュルード門
       王宮の前     9世紀に造られたメデイナを迷路を歩く ハミドさん宅を訪問し、ミントテイを高い位置から泡を立てながら注ぐ、 外部には窓がなく、中央にはサンルーフから光が注ぐ。
               昼食はレストラン『ラ・メデイナ』にて
モロッコ風サラダの前菜 シーフードのパステイーラ(鳩肉を玉ねぎ、アーモンド、スパイス
と炒めてそれをパイ皮で包ん焼いてある)
狭い入り組んだ路地が続き迷路のような町
ジュラバを着た女性。
フェイズに遷都したイドリス2世の眠る、ムーレイ・イドリス廟 タンネリ(皮なめし場)、鼻を着く強烈な臭い、ミントの葉っぱで臭いを消しながらの見学、フェイズの伝統的なラクダ、牛などの皮から鞄などを作っています チキンのメカッリ(レモン漬け風味のタジン)

ミデルト、エルフードを経てメルズーカへ
標高1650mモロッコのスイス、軽井沢と言われているイフレン
のライオン岩
標高2178mのサド峠を越えて、スキー場(モロッコには3つ)がある。
1週間前は雪で閉鎖されていたと聞かされた。
アトラス山脈を越えればサハラ砂漠
リンゴの産地ミデルトのカスバ・アスマアホテルにて昼食。 ここにも中庭と噴水がある 鱒のホイル焼き。美味しかった

山道を急カーブが続く。ズイズ渓谷 モロッコのグランドキャニオン
なつめやしの茂るオアシス エルフードへ。ここから4輪駆動のトヨタラウンドクルーザに乗り換えて 砂漠地帯を走ること50Km1時間でメルズーガに着く。

サハラ砂漠へ
茜色に染まる夕暮れのサハラ砂漠とラクダ サハラ砂漠のアンモナイトの化石を売りに来た
砂の中にうずもれるようなホテル『カスバ・トウンブクトウ』 TVはない。シャワーだけ。停電はなく、特に問題はなかった 夕食後はキャンプファイヤーとベルベル人の音楽と踊り。空には満天の星
朝5時45分ラクダに乗って出発。40分、ラクダはここまで。 後は歩くのみ。サラサラで粉のような砂は歩き難い。2人に連行されて登る 日の出前の静粛な風景。このスタイルはアラブの女性と間違われた
日の出を待つ 風もなく穏やかにだ。砂嵐もない、予想以上に寒くない。 6時48分日の出だ
帰りは、足を上げて引っ張ってくれるので、滑り落ちるのみ。速い   ラクダは乗り降りが大変だ。座る時は前足を折り曲げて座る。野袴をはいてラクダに乗る。砂除けにスキー用のフェイスマスクをする。
自分の乗ったラクダの影が綺麗だ。 日本車に慣れていると、乗り心地は良くない。 夢だったサハラ砂漠でラクダに乗った。

エルフードからバスでカスバ街道を西へ、アイト・ベン・ハウトウヘ
ホテルをトヨタラウンドクルーザで出発する フターラ(以前使われていた砂漠の地下水路)、汲み上げて見せてくれる 谷間のオアシスやカスバ(要塞)、クサール
(オアシスの伝統的な村-カスバの集合体。要塞化された村)がある


アーモンドの花の下でミントテイーとモロッコ菓子でのお花見。
『ワールド航空サービス』の粋な心使いに心安らぐ一時だった
タジンとは、タジン鍋と呼ばれる厚い陶製の鍋に具を入れて
三角錐の蓋をして弱火で煮る。
トドラ渓谷:この巨大な岸壁に圧倒される。 ホテルカスバラムラニにて昼食。鶏肉のラフィッサ
クサール風のホテル デザート
アイト・ベン・ハツドウのクサール:1987年世界遺産に登録される
7世紀にアラブ人がモロコ北部を征服すると、先住民ベルベル人はその支配から逃れる為、アトラス山脈を越えオアシスにカスバ(要塞)を築いて移り住んだ。アトラスの南には数々のカスバが残るがその中でもここが最も美しい。
小川を渡って行きますが、子供が2人手を貸してくれます。チップが必要 アラビアのフローレンスやグラデイエーターなどの映画のロケ地であった
遠くにはアトラス山脈に雪が残っている。
土の煉瓦で造られて要塞の村では数家族が生活している。
その中のベルベル人のお宅を訪ねてミントテーをいただく。
昼食はクスクス:牛肉と野菜を煮て、粗粒状の小麦粉を蒸したものをかける。
世界一小さなパスタと言われている。
昼食後はハイアトラスのテイシカ峠 ALT2260mの標識 ハイアトラスの最高峰は4165m

マラケシュ(ベルベル語で神の国)へ フェイズに次いで2番目に古い町で、1070年頃にベルベル人による最初のイスラム国家、ムラービド朝がこの地を都と定めた。
峠を越えて、オリーブの村々を通り、マラケシュへ モロッコ随一の宮殿ホテル・ラ・マムーニャの玄関 2泊した
世界各国の貴賓や要人を迎えてきたホテル。1000人以上の職人が3年間をかけて修復した
モロッコスタイルは複雑な柄とベルベルとアラブ−アンダルシアの伝統に基づいたアラベスク様式で仕上がっています。
ロビーにて 夜のホテルのガードマンの立つ門を過ぎフロントとの間、ムードがある サンルーフからの光と噴水があるこれがイスラムのリアド。綺麗だ
公園と間違われるほどの広い7haの庭園。手入れが行き届いている。 プールサイドのカフェで
ホテルの部屋にて。庭は綺麗で広い 落ち着いた室内である。さすがは世界一のホテルだ ホテルのレストランでフランス料理を、マグロの刺身と炙りフォアグラ、
牛フィレの赤ワイイン風味、ミルフィーユの赤果実ソース添え
世界遺産に1985年に登録された。12世紀ムワッヒド朝のメラナ庭園
77mのクドビアの塔。ナツメヤシの森が落ち着いた雰囲気を醸し出している
バビア宮殿、中央には噴水がある。 周囲には4人の妻の部屋がある。彩鮮やかなタイルが張られ、
綿密な画が描かれている。
馬車に乗ってメデイナ(旧市街)をぐるっと回る ジャマ・エル・フナ(死者たちの集会-昔は処刑場)広場 夜は、移動式屋台。大道芸人の音楽、蛇つかい、ベリーダンス、、、
この国の人口構成は、65才以上は6%と広場は活気に溢れている。
水売りの人、コップ1杯の水を買う人がいる。写真を撮るにもお金がいる 昼食はシーフードのパスタ

カサブランカへアフリカ最大の商業都市
マラケシュ駅、綺麗だ エキスプレスの1等にて3時間でカサブランカに着く。 車窓からの眺め。
ハッサン2世モスクは200mと言う世界一高いミナレット。1993年建設 映画カサブランカで有名な『Rick Cafe』にて夕食

 午前4時30分ホテルを出発して、カサブランカ空港へ、7時30分エールフランスにてパリシャルルドゴール空港を経由し翌日9時40分成田に定刻到着した。全行程快晴で着物での楽しい旅でした。 ISやエボラ出血熱の影響でどこの観光地も閑散でした。
1週間前は雪の為に道路が閉鎖されサハラ砂漠へは行けなかったそうです。帰国1週間後の3月18日チユニジア国立バルトー博物館での外国観光客の襲撃事件が起こり、渡航危険国となりました。
また3月24日にはドイツ航空会社の150人死亡事故など大変な時期になりました。。       アッサラーム・アレイコム(貴方の上に平安が訪れますように)!