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34歳でロータリー財団の奨学生としてアメリカに留学すると、それまで気にならなかった日本のことが気になりだしました。それが平家物語でした。外国の抒情詩は、もともとは弾き語りであったが、今は文字しか情報がない。平家物語は鎌倉時代から800年以上も語り継がれてきた。弾き語ることで見えてくるものがある、と思われたそうです。
平家物語は琵琶法師らによって広まったが、室町時代以降は能狂言や歌舞伎など他の芸能に押されて、長い低迷の時代を経て、最近復活させる動きが高まりました。高橋さんが200句語ることは、江戸時代以降4人目の達成者だそうです。
本日は平家物語の中でも、もっとも有名な『先帝の入水』をお願いしました。平清盛の娘徳子、後の建礼門院は高倉天皇の皇后となり、安徳天皇の母となりましたが、平家の没落で西へと逃れ、下関の壇ノ浦の戦いを迎えるが、頼みの平知盛が討ち死にすると、祖母の二位の尼は安徳天皇を抱いて『海の中にも都がございます』と慰めて海に身を投じた。未来永劫安定しているものはなく、諸行無常というか、盛者必衰の理を訴えています。
三種の神器のうち草薙剣は、『二位殿は宝剱を腰にさして、我は女なりとも 敵の手にはかかるまじ、、』とあるように二位殿と共に海に沈んだはずですが、熱田神宮にあるともいわれている?なぜでしょうか。 この草薙剣は、前日の岩見神楽 八岐大蛇を須佐之男命が退治した大蛇のお腹の中から出てきた剣です。 その後、日本武尊が熊襲征伐の後、出雲にて、騙してこの草薙剣を手に入れた。父の景行天皇は続いて関東征伐を命じ、そこで枯れ草に火が放たれて火攻めに会うが、草薙剣で火を消した。その後妻に草薙剣を預けて伊吹山の神を退治に行き、剣を持参しなかったので死亡したと、古事記や日本書紀には記載されています。そして熱田神宮に草薙剣を奉納したようです。 謎の多い草薙剣です。天皇の即位の度に、話題になります。皆さんは三種の神器の草薙剣どうお考えでしょうか?
髙橋秀樹先生のご意見は:あくまでも一般に言われていることですが、八岐大蛇の尾から出た剣は、第10代崇神天皇のときに形代が造られており、「御霊威もとの剣にあひおとらず」と言われました。本剣は伊勢神宮に祭られ、形代は天皇の側に置かれました。本剣のほうは日本武尊が用いたあと、熱田神宮の御神体となりました。
問題になるのは、天皇の側にあった形代の剣のほうです。これは、平家滅亡の時、海に沈みました。形代の剣の代用として、壇浦合戦以前に伊勢神宮から後白河法皇に献上されていた剣を用いたり、順徳天皇の時に伊勢神宮から献上された剣を用いたりしました。南北朝時代に、南朝の後醍醐天皇が三種の神器の偽造品を造らせ、南北それぞれが手元にあるほうを正統であると主張しましたが、第100代の後小松天皇の時に、南朝が北朝に神器を譲渡して混乱が収まりました。現在、皇居にある剣は、この混乱が収まった後のものです。以上は、あくまで一般的に整理されている経緯であって、それぞれの神社や伝説で異なる伝承や由来がありますが、剣が壇浦で沈んだはずなのに、なぜ皇居や熱田神宮にあるのか、という疑問は解消されると思います。 |
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