南米ワールドクルーズNo13 ブラジル・リオデジャネイロ 3月2日
 1502年ポルトガルの探検隊がリオデジャネイロに来て、ここを河口と勘違いして”1月 デジャネイロ、川 リオ”と名付けた。以後ポルトガルはブラジルを植民地支配をして、交易拠点とした。 
1822年にポルトガルから独立し、コーヒーブームによる好景気に見舞われて、さらに肥沃な土地で生産される農産物や金、ダイヤモンドの輸出が始まると、また多くの黒人がアフリカから奴隷として連れて来られると、リオデジャネイロは大きく発展した。1960年には首都をブラジリアに移した。
 ブラジル連邦共和国の面積は日本の23倍、世界第7位。人口は2億7千万人、日系人は世界最大の270万人、言語はポルトガル語、宗教はカトリックが65%。1ブラジルレアルR$=26円。生産高コーヒー豆世界第一位、オレンジ生産高1位、サトウキビ生産高1位、大豆生産高第1位、国内空港数世界第2位、農産物と食料品の輸出額第4位。、気候:北部は亜熱帯雨林気候、中部は熱帯サバナ気候、南部は亜熱帯気候である。
リオデジャネイロ
17世紀末に金とダイヤモンドが発見され、飛躍的な発展を遂げたサンパウロに次ぐ第2の都市リオデジャネイロは南緯23度、人口600万人、世界3大美港のビーチ、コルコバードの丘、ボン・ジ・アースカル、更に華やかなリオのカーニバルなど多くの魅力を兼ね備えた観光都市である。現在も都市計画が進行中である。


国旗:緑は森。黄色は鉱物。青い〇は空を、空の中の27個の星は26州とブラジリアを意味しており、中央の文字は”進歩と秩序”を表している。
     午前6時リオデジャネイロ湾から見るポン・ジ・アースカル
 船上から見る”コルコバードの丘   標高710mの絶壁の頂にそびえるキリスト像、世界一カトリック教徒の多い国 、1931年ブラジル独立100周年記念として建立。
船から見るリオデジャネイロ港。クルーズ船が4隻も入港している。                                   世界第7位に長い リオ・ニテロイ橋13.28Km
  ポン・ジ・アースカル:16〜17世紀にヨーロッパに輸出していた砂糖の塊に似ているところから名付られた。
 標高335mn花崗岩で出来た一枚岩。最初のロープウェイ  2番目のロープウェイに乗り継ぐ 山頂より見るリオデジャネイロの美港
 多くのヨットが浮かぶボタファゴ海岸  コンパカバーナビーチ:3Km続く白い砂浜が続弓状のく美しいビーチ  ベルメ―ジャ海岸
 スラム街:
貧富の差の激しいブラジルではスラム街で暮らす人は20%もいると言われ、麻薬と拳銃、窃盗の巣である・
 ブラジルナッツ  オニオオハシ:20cmものオレンジ色の口ばし、
体長に占める口ばしの長さは鳥類最長。

リオのカーニバル
カーニバルは、イタリアが発祥でヨーロッパ各地に広がり、ブラジルには17世紀にポルトガルから持ち込まれた。農園主は奴隷たちが自由に行動することを許し、お祭りを楽しむことを認め、1年に1度は日常の鬱憤をはらすことにより奴隷が逃げ出すことを防ぐ目的だったと言われている。リオデジャネイロだけでなくサンパウロとレシェフも有名です。カーニバルはカトリックの『謝肉祭』に起源している。リオのカーニバルは2月28日から3月4日まで行われ16チームで優勝が争われます。3月2日10時から1チーム約3000人で70分を踊る。1夜に4チームが午前4時まで披露されるが、私は2グループを見て午前2時に帰りました。翌朝はイグアスの滝へ行きました。メイン会場はサンボドロ、全長700m、約8万人収容、1階のVIP席だったが、前の人が興奮して立ち上がる。
 会場内のお店、8万人の見物客、気温は38度、 20世紀に入り、中央大通りが出来た頃から現在の審査パレードコンテスト形式が出来た。