南米ワールドクルーズNo16 ウイレムスタット(キュラーソ) キュラーソ3月13日
1493年コロンブスがこの地方に到着した後、1499年スペインとイタリア人の探検家により発見された。
 16世紀〜17世紀、ヨーロッパの航海者たちはビタミンCの欠乏から壊血病に成る者が多く、この島に上陸し、新鮮な果実を食したことで病気が治癒する者がいた為に、ポルトガル語でキュラーソ(治癒の意味)と名けられた。

 1634年オランダがスペインから奪い、キュラーソに入植すると、海賊などの外敵から守るために 要所に砦を築き、ウイレムスタットの街を建設した。塩の生産、農業、奴隷貿易、などで栄えた。1815年カリブ海の島々の領有権をめぐり、オランダ、フランス、イギリスの熾烈な争いの結果、
オランダがこの地方の諸島を植民地として統治した。
1854年奴隷制度が廃止されるとキュラーソの経済は壊滅的な打撃を受けた。  オランダ領の一部であったキュラーソー島は、2010年にオランダ王国の構成国になった
  現在、面積は444u、人口は18万人言語はオランダ語

第2次世界大戦前、ナチスドイツに迫害されたユダヤ人たちが出国するために用いられたのが、オランダ亡命政府の非常勤領事によって発行されたキュラーソ島へのビザであった。当時のオランダはユダヤ人への偏見が少なかったので、他の欧米諸国が発行していなかったユダヤ人向けビザを発行していた。本国はナチスドイツに占領されたため、アメリカや香港で旅行を終了するユダヤ人が多数であるのを承知の上で日本国通過ビザを発行した。その結果ユダヤ難民の数千人の命を救った。この逃亡のビザは『キュラーソビザ』と呼ばれる。
 
 3月11日ブリッジタウン(バルバドス) 3月13日ウイレムスタット(キュラーソ)  3月15日カタルヘナ(コロンビア)  気候は年間を通して温暖で、ハリケーンは無く、平均気温28度〜31度  国旗:大きい星はキュラソー島、小さい星は無人島。星の5つの角は住民の出身地の5大陸約50か国を、青いストライプは上部は空、下部は海、黄色は太陽を象徴
 船より見るキュラソー島のウイレムスタットの港    野生のイグアナが港のそばにいる
  ウイレムスタット歴史地区散策
カラフルなオランダ様式の色彩     1815年カリブ海の島々の領有権をめぐり、オランダ、フランス、イギリスが争い、要塞を築いた。その結果、オランダがこの地方の諸島を植民地とした。 ルイス・プリオン将軍
 クイーン・エマ橋:16艘のボートに支えられた可動式の浮き橋、全長168m、幅9.8m、オランダのエマ女王にちなんでつけられた。  オランダの総督が法令で建物をカラフルにすることを奨励した
 アムステルダム要塞 :現在も総督邸として利用している。                   教会      オランダ語でキュラソー
  リキュール工場
スペイン人が持ち込んだオレンジが苦くて放置していた。17世紀後半にオランダ人がキュラーソ産オレンジの皮をアルコールに浸した ラム酒(サトウキビの廃糖蜜を原料として作られた蒸留酒)をベースにしたリキュール(混合酒、日本ではアルコールに糖質とその他を混ぜたものを言う)  アルコール度数25度以上になる。3種類を購入した
   アロエ工場
 雨の少ない乾燥気候とサンゴ礁が隆起してできた痩せた土壌では、サボテンやアロエが沢山生い茂る。 底部を切ると水分が出る、塗るとすべすべし、中身は無味である。昔から便秘、掻痒,化膿に良いと言われている。
 1〜3年で収穫する。  ヤンコック塩湖のフラミンゴ 
 ユダヤ人教会と墓地。ユダヤ人が多い。ユダヤ人逃亡の『キュラソービザ』 の為か。 風力発電量は40%
 ブルーベイビーチ:海水浴ばかり、  地元レストランでのサボテン:ビュッフェスタイルで1.5時間のかかる  

3月14日2時26分〜3時31分の長きにわたりまで皆既月食を観測できた。船はN11,W73度を246度に向かって12.5ノットで航行中
   暗い赤  午前2時20分頃
 明るい赤    午前4時を過ぎた