南米ワールドクルーズNo3 タヒチ(ボラボラ・パペーテ)
 三井造船は『MITUI OCEAN FUJI』をデビューさせた。今回JTBがチャーターした2025年1月9日〜4月9日90泊91日の旅に参加しました。 
赤道を通過し、日付変更線を1月20日に超えると日本との時差は―19時間、GTMー4、イスター島では‐14時間。24日午前10時30分にフランス領ポリネシアのボスポラ島に着いた。ボラボラ島のオモマテ山を中心に小島が点在し、水上コテージの有る豪華なリゾートが沢山ある、タヒチで最も人気の高い島です。
  タヒチはフランス領ポリネシアと呼ばれる118の島々の総称です。 最も大きい島がタヒチ島、 国花はテイアレ・タヒチ。         
 ボラボラ島 
 南太平洋の真珠”と言われる、ボラボラ島は椰子の木に囲まれた真っ白い砂浜と透明度抜群のターコイス色のラグーン砂州やサンゴ礁により外海から隔てられた水深の浅い水域のことである
 ボラボラ島は約300万年前に火山の噴火があり、長い年月をかけて中央の島は沈んでいき、 島を囲む珊瑚は成長し世界で最も美しいと言われるラグーンが生まれました。本島とそれを取り囲むモツ(タヒチ語で小さな島)は“南太平洋の真珠”と称されて いる。
赤道を通過し、貿易風が東から西へ吹く中時速33Kmで南東へ全速(マジェロでの燃料補給に時間を要し、出航が12時間遅れた)  1月24日朝ボラボラ島のオテマヌ山727mが見えた  ターコイズ色のラグーンと水上コテージ
 島の周りはサンゴ礁で囲まれている  オテマヌ山の麓ヴァイタベ沖に投錨する  港は浅く、ふじは着岸出来ない
ボラボラ島:右上の島に空港がある   船のテンダーボート(80名くらい乗れる緊急用ボート)で  ボスボラ島へ上陸した
 人口26,000人、舗装道路は無い  400mのメインストリートはこの道のみ  土産店:テイキ(神)の木彫り像、イースター島のモアイ像はこの影響
 黒真珠の養殖が盛んな、4000円前後で安い  メインストリートでの露店  裏道に入るとこのようなのんびりした住居
アンテナビユーポイント:道なき道をトヨタ4WDは急坂を登って行った  真っ白い砂浜と透明度抜群のターコイス色のラグーン  美しいラグーン
 マテイラビーチ30度だが風が有り涼しい、泳いでいる  ボラボラ島で人気のビーチ  ハイアットビユーポイント:水上コテージの豪華リゾート
   水上コテージ  

パレウ
 
左上はプーラウ、
  右上はハイビスカス


  右下はチアレ・タヒチ
 
 古来、布がなかった時代には、タヒチの人々は「タパ」と呼ばれる樹皮布をまとっていました。これをPAREU(パレウ=巻きつけるスカートの意)と呼んでいたのがパレオの始まりで、タヒチの民族衣装として定着しています。
 
国花のチアレ・タヒチ花弁が6〜8枚、
中でも8枚の花弁は幸福を運んでくると言われている。

     
 マラエ島には古代宗教の神殿であったマラエが点在しています。アトゥア(神々)を崇拝するためや、戦闘の協議や勝利の祝賀、結婚式、航海の準備、その他、長老たちが大切な儀式を執り行うために設けられた聖なる場所で、古代の姿を今に伝えています。聖域であったマラエには今も人々はみだりに足を踏み入れません。
   タヒチアンパレオは、ほかの太平洋上の島々で作られるパレオと比べて鮮やかな発色がとても美しいのが特徴で、花、植物、風景、魚、亀、タパ柄などがモチーフに多く使われています。手作りパレオは色や柄がどれひとつ同じものはなく、巻き方も100通りを超えると言われます。
ポリネシアン・デッキ パーテイ:サービス係トップのロッピーと。ポリネシアン料理、ミュージック、ピアノ、ボーカル、、参加者によるフラダンス、フラダンス教室毎日あったが数日しか参加しなかった。女性ばかりになった。

 タ ヒ チ 2 パ ペ ー テ 

紀元前3〜4世紀頃、 東南アジアから南太平洋への民族大移動により、トンガやサモアなど南太平洋の島々に定住が始まり、紀元後10世紀まで大遠征は継続され、タヒチの島々をはじめハワイ、イースター島など南太平洋のほとんどすべてに人々が住み始めたといわれている。16世紀になるとヨーロッパの大航海時代が始まり、マゼランがツアモツ諸島の一部を発見したのを皮切りにスペインの冒険家がマルケサス諸島を訪れ、18世紀にはイギリス、フランスの探検家も相次いでタヒチに上陸した。タヒチの島々は首長国に分かれていましたが、、バウンティ号の反乱、有名なキャプテン・ジェイムズ・クックによるタヒチの美しさ・優雅さがヨーロッパに伝わり、タヒチに魅了されたヨーロッパ人宣教師の布教活動も行われ、1793年にポマレ王朝が始まり、1797年にタヒチの王国としてポマレ王朝が樹立しました。
 その後、イギリスの捕鯨船、フランス軍の遠征などにより、ついにはタヒチの島々を統治する権利を巡りイギリスとフランスの争いや、1844年にはタヒチとフランスの戦争を経て、1847年勝利したフランスの保護国となった
1880年には、ポマレ5世がフランスへの併合を受諾しポマレ王朝は終焉を迎えることとなり、1958年にはタヒチの118の全ての島がフレンチ・ポリシアと呼ばれ、フランスの海外領土となった。

寄港地ツワー1日観光6時間30分33,000円に参加した。
 パペーテ港  タハラア展望台  
 ヴィーナス岬:1796年イギリスのクックが金星(ヴィーナス)を観測する為に上陸した地   火山の溶岩が解けて黒色の砂浜  キャプテンクックの上陸記念碑
  
 ファアルマイの滝:ジャングルの中にある3本の滝 
 レストラン  ハイビヒガーデン  
     パコダフラワー               水連
 マラア洞窟:  天然の洞窟です。水に囲まれた洞窟の天井にはシダやコケといった植物が生い茂っており、緑が美しい観光スポットとして人気を博しています
マラアの洞窟には3つの穴があり、もっとも大きな洞窟である「テ・アナ・パプ・オ・ヴァイポイリ」は、端へ行くにつれて低くなるアーチ型の天井が特徴です。
 1875年に建てられたノートルダム大聖堂
 赤いとんがり屋根と黄色の外壁が、タヒチのきれいな青空。
 プロテスタント教が5割程度、カトリック教が4割程度、その他モルモン教なども少数
 タヒチアンダンスはポリネシアの島々に伝わる民族舞踊で、ポリネシア人たちが自然の神々へ祈りを表現したのが起源とされており、激しいテンポの打楽器に合わせて体を動かすエネルギッシュさが魅力です。見事な民族衣装。
 パペーテ港出航  チリの入国カードを2枚提出した。GMT-9時間 1月25日 18時イースター島(チリ)へ向け出港した。
今日は旧正月、夕食は
お雑煮
和牛の煮物
鮑の肝煮
刺身
デザートはイチゴ大福
ピトケアン島:南太平洋に浮かぶ火山島、タヒチから南南東へ2170Km 、イギリスの領土で住民がいる  
火災訓練   退船訓練:このカプセル救命いかだが開き  30人が乗れる
ズンバ45分を5回、ズパ&ウエルネスでの個人ジムとパーソナルトレーニングを10回、海藻デトックスマッサージ、クライオリトリートメント各3回、社交ダンス講習、ズンバ講習、教養講座、フラダンス教室、座禅、スペイン語講座などなど沢山あり過ぎる