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ふじで20日間、飛行機ではホノルルかタヒチ経由でマタべり国際空港へ |
テンダーボートでハンガロア村に上陸し、バスでアフ・トンガリキへ |
JTB久松添乗員によるイースター島の説明会 |
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朝5時過ぎイースター島沖に投錨する。
ここからテンダーボートで上陸 |
ハンガロア村に上陸する。チリへの入国検査はバックのチェックのみ。歓迎を受ける |
滑走路3,300mの長大なマタべり国際空港にはチリーのサンチエ、ペルーのリマ、タヒチのパペーテから定期航路がある |
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アフ・トンガリキ: モは「未来」、アイは「生きる」を意味する、モアイは「未来に生きる」守護像として作られたのでは? |
モアイの高さは平均4〜5m、重量20トン、部族長や先祖の霊を願ったのでは?1960年のチリ沖地震で発生した津波によってアフもモアイも倒れた。1995年高松市のタダノ株式会社が100mの祭壇に15体のモアイを並べた。 |
7〜17世紀の1千年の間に造られた。その間高度な技術と戦争がなかったよう。 |
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モアイ像が17体に成っている 20人の石工が1年間で1体を作ったと言われている。
右から2番目のモアイはプカオと呼ばれる帽子のようなものを被っている。これは男性の髭をのばし結髪を再現したもの |
向かいのラノララク山で造られて、運ばれた |
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島の牧畜、小豆島の面積に14千人 |
ラノララクと呼ばれる石切り場 |
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イースター島には 加工しやすい疑灰石があり、石器(黒曜岩や玄武岩)でも容易に加工できた。 ラノララク山(標高200m)の石切り場には作りかけのモアイが約400体ほど残されている。 |
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切り出し途中の物、削りかけの物、麓への運搬途中で放棄された物 |
ここが山の石切り場、作りかけのモアイもある |
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海に背を向けたアフ・トンガリキのモアイ像 |
村のメーンストリート、飲食店が集まっている。 |
絶海の孤島なので強風と波浪が高い。船は島に近づけない。 |
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テンダーボート(船の救命ボート)で船へ |
19時抜錨しイースター島を後に、6日後にペルーのカヤオに向かった |
今日はセミフォーマルの日JTBの添乗員の方々と |
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レストラン”富士”の前でギターリスト ジオバニーの演奏 |
部屋のベランダで、南太平洋を背に |
船内の教養講座”南米の世界遺産”から
黄色がスペインの植民地、緑色がポルトガルの植民地 |