南米ワールドクルーズNo5 ペルーのカヤオ2月7日
 カヤオは、ペルー最大の主要な港町で、インカ帝国が滅亡後、リマが創建された時からの貿易港である。ペルーの人口の1/3がここに居住している。ここでオーバーランドツアーが@11泊の南極ボナンクルーズ、A5泊マチピチ遺跡、B6泊ガラパコス諸島C5泊アマゾンクルーズが計画されている。 
 ペルーは海側の砂漠から、6,000m級のアンデス山脈の高地と、アマゾン流域の熱帯樹林地帯迄変化に富んでいる。謎の空中都市マチピチ、かって南米最大の都市インカ帝国、ナスカの地上絵、何千年も前に造られて建造物がある。現在の人口3,200万人。面積は日本の3.4倍、  
  リマは 1530年インカ帝国を滅ぼしたスペイン人のピサロによって築かれた。1821年スペインから独立を果たした。日本人の移民も多く1990年には日系2世のフジモリ大統領が就任した。南緯12度、西経77度にあり
 綱引き大会    JTB残念
  ”Yes,No”クイズ。1分30秒で失格してしまった。    ペルーの伝統芸術祭
   お食事は最高に美味しい  
 船内教養講座より、1494年トルデリシアス条約により、西経46度37分以西はスペイン、東はポルトガル(スペインは南米の太平洋側を、ポルトガルは大西洋側)と決めた。
 カラル遺跡はBC3000〜2000年、チャビン遺跡はBC2000〜1200年、 ナスカの地上絵はBC100〜AD700年、チャチャン遺跡はAD1200〜1500年、   面積は日本の3.5倍、人口は3千万人、そのうちにリマに1千万人、日系人は10万人、1821年独立
海岸砂漠地帯(リマ)、アンデス山岳地(マチュピチ、クスコ)、ジャングル地帯の3地帯からなる
 沢山のカモメが出迎えて、ベランダからパンを投げると、うまく取る  港にはたくさんの出店が出来ている  活気のある港
     町には屋台の出店が多い
1538年スペインのアルマス広場と同じもの  リマ大聖堂:1535年にインカを滅ぼしたフランシスコ・ピサロが礎石を置きカトリックの布教の中心地として初めて教会を建設した   大統領府
                  ラルコ博物館  
美しい庭園に囲まれた美術館、18世紀の邸宅跡に陶器コレックショ  リマへ人類がアフリカ大陸から経路  モチエ文化の細線模様AD1−8世紀古代アンデスでは農耕社会であったで自然界には独自のサイクルがあることを知っていた。人間は生、死そして生まれ変わると知っていた。
 インカ文化:13〜16世紀:脇に持ち手のある尖底土器、正面にネコ科の動物の頭が描かれている。  ピル―文化:BC13.5〜AD1:鳥、猫科の動物、蛇の像  モチエ文化:顔に入れ墨をした男性、耳と首の飾り、双頭の蛇
 ワリ文化の織物:木綿とラクダ科の獣毛。1cmの幅に120本の糸が織り込まれている  ワリ文化のミイラ:AD9〜13世紀、古代エジプトと同じく死後の世界への旅立ち支度である。  生殖を伴わない性交
2月9日ウッシュアイア港へ
太平洋と大西洋を結ぶ海峡は3つある、プンタアレナスに面したマゼラン海峡、南米大陸最南端と南極との間のドレーク海峡、そしてビーグル水道です。
ウッシュアイアはヨーロッパの海上の要所として栄えた。南極への拠点として夏は賑わいます。

 アルゼンチンのブエノスアイレス(日本との時差―12時間)から  南米最南端の北緯54度のウッシュアイアへ3時間40分  夏山には雪がある。
 人口7万人の町のメインストリート  ボナンクルーズ船社の車でレストランへ  子羊の丸焼き、1日かけて焼き上げるとのこと。美味しい
  ボナン社の」ロストラル号  港には南極クルーズ船が6隻も入港していた。
 17時ロストラル号は南極に向け出航した。ビーグル水道の左(北)岸はアルゼンチン、右(南)はチリ、  ロストラル号での夕日
ロストラル号は南極大陸から2月19日ウッシュアイアに入港した、
ロストラル号が12時間も早く入港、翌朝ふじが入港した 港には 多くの南極クルーズ船が入港している。  
   地の果ての刑務所の囚人服  お土産にペンギンを買った
 夜の街  名物の蟹食堂。  蟹は売り切れ!残念、イカを食べた
 名物のカニ料理店に入るも売り切れ、残念。イカのてんぷらを食べた  石のペンギンを記念に買った。  オーバーランドツアー南極参加者2名で539万円
2月19日三井オーシャンふじは17時に出航し、マゼラン海峡をポートスタンリーに向かった。