2009年のクラス会

霜仁会会報 42クラス会報

 越中富山の鵜坂神社の「尻打ち祭」と言えば、古来日本の奇習として有名である。毎年7月、土地の女性は社殿に詣でて、その年に触れた男の数を神主に白状しなければならない。そして、その数だけ尻を竜眼木で打たれ、もし偽りがあれば忽ち天罰が下るという。鵜坂神社は富山県婦負(ねい)郡婦中町にあり、今回の幹事・山本英樹君はその氏子なのだ。若き日の彼はいったい何人の女性の尻を叩かせしめたのか。920日、その事実を問いつめる目的で42会の同志は富山に集結した。クラス総代の内平孝雄を先頭に以下、東良輝、石川良興、石丸良平、磯部孟生、沖田極、笠井(石川)佳世子、木下隆一郎、松下瑞夫の面々(総勢18)である。しかし、その勢いも山本君の心尽くしのもてなしでどこかへ雲散霧消してしまった。富山市第一ホテルの日本料理「松川」の豪華メニューに驚嘆した奥方連中が、山本君への追及を許さなかったからである。翌21日は富山でも稀に見る快晴に恵まれ、朝8時にホテルをバスで出発して立山連峰に登る。雄大な景観を眺め、彼が用意してくれた富山名物の鱒寿司を食して一同声を失ってしまった。このようにして悪事露見を免れた山本君の企ては、見事に成功したと言えよう。

(文責・磯部)


2009年9月20,21日山本英樹君(富山市婦中町にて山本内科医院を開業)が幹事で富山にて開催され18名が参加しました。

 20日18時30分富山市第一ホテルの日本料理『松川』にて、山本君の挨拶に続き、最遠路である松下君の乾杯でクラス会が始まりました。
2次会はBar”ボンベール”で23時過ぎまで楽しく歓談しました。

 21日8時ホテルを出発し、標高2450mの室堂へ、雲一つない快晴に恵まれ、雄大な立山連峰を眺めながら、富山名物の鱒寿しを食べ、15時に富山空港、富山駅で解散しました。
木下
松下 内平 内平夫人人 石丸夫人 沖田







石川 石丸 山本夫人 山本 松下夫人 東夫人 沖田夫人


幹事の山本君の挨拶で始まった。




立山から流れてきた伏流水を使った富山の銘酒『立山』と『満寿泉』は口当たりも良く美味しい、おおいに飲んでしまった。



2次会はBar”ボンベール”で23時過ぎまで楽しく歓談しました。



少し二日酔いが残る8時にホテルを出発。雲ひとつない快晴に恵まれた立山黒部アルペンルートへのドライブは、気分爽快だ!
称名滝:4段に分かれ、落差350mもある日本一の大瀑布。

雷鳥:富山県の県鳥である。また国の天然記念物でもある。

滝見台から見望む称名滝と立山連峰

美味しかった鱒寿し

バスは2時間で標高2450mの室堂に到着する。室堂から立山連峰を望む。
右から一の越山荘を経由して雄山3003m.その左が大汝山3015m,その左が富士の折立2999m、そして左端の雷鳥沢を通って下山する。

左は剣岳:威圧感のある黒い岩肌は、ロッククライマーたちの憧れの的 火口湖であるみくりが池。2時間の散策、風は心地よく吹き、別世界だ。



 クラス会の前後に各人富山市内の観光をした。また遠く金沢や能登半島、福井へ足を延ばした人もいた。

 クラス会場のホテル前にある富山城
早朝の散歩に出かけた。

 富山は、645年大化の改新の後、越前、越中、越後に3分割され、越中国となった。746年大伴の家持が越中守として任じられ、多くの歌を残した。近世は佐々成政が越中を統一し、その後は加賀藩の領国となった。1639年、前田利次を初代藩主として富山藩が誕生し、廃藩置県により富山県が生まれた。



北前船の船主として栄えた回船問屋、森家
 寛文12年(1672) 江戸の商人・河村瑞賢(瑞軒)は、加賀藩の廻米を敦賀から琵琶湖経由で大阪へ運んでいたのを、西廻り航路(日本海岸〜下関〜大阪)を、さらに秋田以北にまで航路を拡大した。これがいわゆる北前船である。



越中富山の薬売り
富山売薬の総元締ともいえる薬種商を営んでいた金岡邸

 売子はあらかじめ幾種類かの薬を家庭に預けておき、半年後または一年後に再びその家庭を訪問し、使用した分の薬代を徴収する、「先用後利」と呼ばれ、現金収入の少なかった当時の一般庶民に大いに受け入れられ、売薬発展の礎となった。
 この代表的な漢方薬が「反魂丹」という丸薬である。

店内の様子 懐かしい行商の服装 懐かしい”熊の胃”



おわら風の盆
 300年余の歴史がある「越中おわら」。その唄と踊りは叙情豊かで気品高く、哀調の中に優雅な趣を有している。格子戸の民家、土蔵等、昔の面影を残す町並みに数千のぼんぼりが立ち並び、三味線、胡弓、太鼓の音に合わせて哀調帯びた唄や格調高い男女の踊りが、坂の町を揃いの法被や浴衣姿で流し歩き、編み笠の波が行き過ぎる。
勇壮な男踊りと艶やかな女踊り
2009年のポスターより
諏訪町通り。白壁の格子の町家が連なり、石畳の緩やかな坂が続く江戸時代の町並みのたたずまいを残す情緒ある通り。 和紙と生糸で栄えた町である。

その他、合掌造りの五箇山、黒部峡谷などへ旅した人もいました。


 今回42卒クラス会の幹事を担当した山本英樹です。
 稀に見る快晴に恵まれ、みなさまにご満足いただけ無事散会できたことを大変喜んでいます。富山の自然に恵まれた風土、食べ物、立山から流れてきた伏流水を使った日本酒、立山、満寿泉を味わっていただき、なによりでした。ます寿しを、食べなれていますが、立山直下の室堂、海抜2450mで食べたのは初めてで、格別の味がしました。
 このような機会を与えていただきましたクラスの皆様に深く感謝申し上げます。
生きているうちに黒部の旅を企画したいと思っています。有数の渓谷美を堪能できると思います。また富山にお出でくださることを願っています。
                                      取り急ぎ御礼まで    山本英樹

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