大島紬を訪ねて
奄美大島

 大島紬の特徴は、1反が450gと軽く、そしてテーチ木(車輪梅シャリンバイ)染めと泥染の過程で糸は柔らかくなり暖かい。糸の表面を覆う薄い膜が、樹脂加工の役目を果たし外からの汚れを防ぐと共に、生地を燃えにくくしている。糸は人の手で何度も揉まれることにより、しなやかで皺になりにくく、雨に濡れても縮まない。また静電気がほとんど発生しないので裾さばきが良く、絹ずれの音が心地良い。これらはすべて奄美大島紬独特のテーチ木染めと泥染による不思議な力なのである。流行や年代にあまり左右されず、一生着られる。また一疋をご夫婦ペアで着る人も多い。その時代、その情景、その思い出が込められた物語を生む着物である。大島紬の種類や歴史等知らないことがまだ沢山あります。
 憧れの大島紬の里、奄美大島へ3月21、22、23日に行きました。桜は1月に咲き終わり、5月中旬の気候でした。

大島紬の種類 
大島紬の古典柄詳細はSotetu
紬の柄は、奄美大島の美しい自然の形がそのまま取り入れられて来ました。草、樹、貝、花、蛇、海亀の甲羅、夜空の星など、、
男の代表的な絣模様は亀甲柄といえます。平安時代末ごろから有職紋様として盛んに用いられ、現代に至まで広く好まれています。

小 柄 ‐ 主 に 男 物 大 柄 ‐  主 に 女 物
亀甲柄 西郷柄 有馬柄 龍郷柄 秋名柄 割込み柄

染めによる分類
泥大島 泥藍大島 草木染大島 色大島 白大島
 伝統的なチーク木泥染法で染色した糸を用いて織り上げた高級な紬。黒の地色に薄茶ががった白絣を主体に柄模様を表しています。  植物藍で先染した糸を絣むしろにしてそれをチーク木と泥染で染色したもの。地色が泥染特有の渋い黒地になり、絣柄の部分が藍色を主体に表現された上品な風格の漂う紬です。 チーキ木以外の草や木等の天然染料で染られ、古典的な染色方法に改善を重ねて染めあげたものです。 化学染料を使用して、色絣模様に染色したもので、色使いが自由なのでモダンなものや大胆なデザインも豊富に出来ます。 地色を染ずに、白のままで絣模様に色を入れた爽やかな印象の紬です。

奄美大島へ  徳山から新幹線で博多へ、JASで福岡から鹿児島乗換で奄美大島へ4時間。

福岡空港からJASで鹿児島経由、奄美へ。

3日間走ったレンタカーのコロナマークU
亀甲柄の大島紬の着物に
女房が作った袖無し羽織
白大島紬の着物に
大島紬の羽織
大島紬の着物に
大島紬の袖無し羽織

                    

       
大島紬見学

本場奄美大島紬泥染公園(大島紬を染める泥染め用の泥田を、プロの染織家が実際に使いながら保存している。
テーチ木染
車輪梅(シャリンバイ、テーチ木)

シャリンバイの花

 この木を大きな釜で約14時間煎じその汁でおよそ数十回も繰返して染めるうちテーチ木のタンニン酸によって糸はしだいに赤褐色に変わっていく。

小さく割ったシャリンバイの木と根

泥 染
泥田にはこのように鉄分が含まれている。浮いているのは刻まれた蘇鉄の葉
 蘇鉄が自生している土質は泥染に向いています。
 鉄をよみがえらすと書く「蘇鉄」。泥田の鉄分が枯れると蘇鉄の葉を刻んで泥田に埋めます。蘇鉄の葉に含まれた鉄分が泥田に溶け、再び泥染が」できるようになる
テーチ木の樹液で20回染め泥田で一回染めを一工程として、これを3〜4回繰返すことによりテーチ木のタンニン酸と泥の鉄分とが科学結合して糸はやわらかくなり、決して化学線料では合成し得ない独特の渋い黒の色調に染め上がる。
シャリンバイと泥田染めによる染まり具合の比較



奄美サンサン王国夢おりの郷 大島紬の展示販売のほか製造工程も見学出来る。

藍染(徳島産を使用している)
手 織
手織は根気のいる女の仕事だ。高機による手織りで一糸一糸心をこめて織られていく。およそ7センチほど織っては経糸をゆるめ一本一本たんねんに針で絣を合わせる。
夢おりの郷で購入した諭吉柄の大島紬



大島紬村  15,000坪の広大な敷地内に点在している工房を巡りながら、80工程にも及ぶ大島紬の制作過程が見学出来る。
左は泥染
園内の高倉


園内にはハイビスカスやブーゲンビリアが咲き誇っている。
亀甲柄の大島紬の着物に、紬村で購入した大島紬の袖無し
(パッチワークが美しい)

図  案
 大島紬の図案はすべて糸の密度にあわせ、織物設計をした上で方眼紙の上にえがかれていく。大島紬はまずこの図案作成からはじめられる。

締   機(しめばた)
 大島紬の特徴は精巧な絣の美にあるが、その秘密は締機(しめばた)にある。他の産地が糸くくりや板締を用いているのに対し、奄美ではこの締機を用いている。縦糸の綿糸で図案に合わせながら絹糸を強く締めないときれいな絣はできない。
締機は力の強い男の仕事である。
摺り込み染色
「加工」と言われる工程は、締めや染色を除く、機織り(はたおり)のための準備工程を言い、細分化すると28工程にものぼる作業工程がある。主なものは、整経(せいけい)、糸繰り(いとくり)、糊付け、糊張り、部分脱色、摺り込み染色、絣むしろほどき、綾ひろい

絣むしろほどき
泥染印(泥染検査合格品に貼られています) 地球印(本場奄美大島紬の製品には1反ごとに貼られています。)


瀬戸内海中公園
古仁屋港から”マリンビューワせと”にて
高知山山頂より、大島海峡を望む
奄美大島と向かいの加計呂麻島との間に横たわる大島海峡を望む。
半潜水式観光船”せと”にてサンゴ礁の広がる大島海峡を水中より観察


マングローブ原生林住用川と役勝川とが合流する海水と淡水が交ざり合うデルタ地帯にマングローブの原生林が広がっている。         
道の駅”マングローブパーク”からの眺め ボートでマングローブの樹海を探索。干潮だったので、奥深く行けなかった。

大島海浜公園  名瀬市の北西に突き出た岬の海岸は、日本の渚100選に選ばれた。                                         
公園内の高倉(穀物の貯蔵庫、ネズミ返しもある)  紬の着物に大島紬の羽織りで、 夕日の奇麗なサンゴ礁と白浜の海岸で”天使の梯子”を見る
 積層雲が一面に広がると重苦しく感じられるが、雲の切れ間から幾筋もの光の帯が差し込むと、神々しい光景となることがある。これを雲間の”御光”と言う。御光りとは、仏や菩薩の体から放射されると言われる光輝のことだ。西洋では、”天使の梯子”と呼んで、天使はこの階段を昇降して天と地を行き交うと言う。


西郷南洲謫居(たっきょ)跡  安政の大獄で奄美に流された西郷隆盛が3年間過ごした住居跡。
勝海舟の筆による記念碑と愛加那と過ごした藁葺きの家

奄美自然観察の森 (龍郷町の北部の長雲山系の天然広葉樹林)  
龍郷湾から遠くには喜界島を望む。 亜熱帯樹林の自然公園

沢山のシダ類 うるさいほどの野鳥の声 亀甲柄の大島紬に、女房作の袖無し羽織に野袴で

奄美パーク  奄美諸島の魅力を一同に集めた総合施設

糸芭蕉の茎から採った繊維をしごいている。
葉柄の芯の部分から、柔らかく上質の意図が採れる
30cmに切ったサトウキビを搾り器にかけて、そのままコップで出される。甘い、昔懐かしいサトウキビの味
田中一村記念美術館 サトウキビのジュース
あやまる岬  島の東端にある奄美大島を代表する景勝地、                                                                                         
今は干潮時、1kmにわたるサンゴ礁が続く。満潮時には紺碧に輝く遠浅の海が広がる。


 鹿児島から南南西へ約380Km、周囲460Km、面積720ku,日本の島としては、沖縄本島、佐渡島に次ぎ3番目の大きさです。

ばしゃ山村
 大島紬を着て行きましたが、奄美の人は誰も”大島ですね”とは言われませんでした。”亀甲ですね”と言われました。奄美大島では成人式には、男女(振り袖も)共に大島紬で作るそうです。”成人式に大島紬以外の着物は着ない”には驚きましたし、さすがは地場産業だと感心しました。
 着物姿で行くと、製造工程も丁寧に教えてくれましたし、泥染も私一人の為に泥田に入り実演してくれました。大島紬の工房は沢山ありました。
でも工程が複雑で、十分は理解出来ませんでしたが、ぼんやりとは理解出来たと自己満足しております。また昭和40年代の栄華盛衰も肌で感じました。
歴史
 @奄美における養蚕の歴史は古く、奈良朝(西暦710〜793年)以前から手紡糸で褐色紬が作られていたようで、奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残されてる。
 A9世紀の頃奄美は遣唐使の通路であり、その中継基地として中国大陸や南方地域との交流も深く当時の大陸文化や南島文化の交流地点として発展していたことが窺え、また朝廷への往来も頻繁におこなわれており、その際の貢物として褐色紬が献上されたものという説もある。
 B慶長14年(1609)薩摩藩は奄美・琉球を攻略し、奄美諸島を琉球から分離して藩直轄の蔵入地とした。亨保5年(1720)薩摩藩が奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島の四島に対して「与人・横目・目指・筆子・掟までの役人には絹布着用を許すが、下の者には絹布着用を一切許さず」として「絹布着用禁止令」を出しています。これは大島紬が一般に普及していたことをしめすものと思われますし、現在だから私でも大島紬を自由に着れます。
C大正3年第一次世界大戦勃発時不況にみまわれるが回復し史上最高の好景気を迎え大島紬の黄金時代となる。
D昭和28年(1953)奄美諸島は日本へ復帰し、昭和30年(1955)商標を地球をデザインした証紙(通称地球印)も改めた。昭和30年(1955)合成染料染色の洗浄・色止め処理方法、先染絣の抜染加工法が開発されたことで、多色泥染大島・白大島・色大島など多様化がはかられた。
Eそして昭和40年代は大島紬ブームが起こり、増産が計られ、第2期黄金時代を迎えたが、以降衰退の一路辿っている。   大島紬協同組合
第一礼装
準礼装
新春
ハウステンポス
ひな祭り

新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた