男の着物
第一(正)礼装
 現在の第一礼装は、明治4年文明開化を急ぐ政府が政府高官の礼装を太政官令で定めた時、それに見合う和服を黒無地に5つ紋付羽織袴と決めたものです。礼装(正装)は封建時代に確立され、封建時代を支えた正しい礼装でした。古くは聖徳太子の冠位十二階、江戸時代武士は裃に紋付と長袴(現在の紋付袴という礼装はなかったそうです)が正装とされ、庶民には家紋が許されませんでした。公家には公家の礼装がありました。礼装は君主の権力を誇示し、封建制度を維持発展させる為に必要でした。人々は忠誠心の証しとして、定められた礼装をしました。明治政府が定めたこの礼装規定は、大臣認証式や宮内庁行事など私どもには縁の無い礼装ですね。瀬戸内海の島のお祭りでは村人が第一礼装で参加していました。今は平等な民主主義の社会ですので、自分の意志で、気楽に着て楽しめば良いと思います。洋装のモーニング、燕尾服に相当し、黒留と同格で、和装では昼夜を問わず着られます。結婚式、結納、卒業式、公式行事、葬儀などに着ます。正月の初詣にも良いのではないでしょうか。カジュアル過ぎて礼を失することはあっても、フォーマルな装いが失礼になる、ということはありません。
夏の第一礼装

常夏の国ハワイにて

山口県庁玄関にて
  夏は絽の着物と羽織に平打ちの羽織紐と絽の仙台平の袴です。
通気性が良く、最近のホテルの結婚披露宴では寒いくらいです。透けるので、下着には注意が必要です。 夏物と冬物の着用は、月で決めずにその日の気温を参考に自分決めれば良いのではないでしょうか?冷暖房の発達した今日では、昔と違います。
冬の第一礼装  染め抜き5つ白紋付きの黒羽二重の長着と羽織に、仙台平の袴
正月家族で。髪も、着付けも勿論自分たちでしました
  襦袢は白襟をつけます。羽織の紐は、丸組の白です。喪の時は黒かグレーをします。足袋は白足袋。履物は雪駄(畳表がはき易い。貸衣装ではビニールが殆どでこれは履き難い)に白の鼻緒です。袴は行灯袴、馬上袴どちらでも良いです。歩くには馬上袴が便利ですが、トイレは行灯袴が便利です。行灯袴の方が,長着が痛みません。
 袴の結び方も研究しましたが、どの本を読んでも結び方が違います。結び方は無数にあるこに気付きました。。大河ドラマの大石蔵之助を見ていると、帰宅した蔵之助の着替を手伝っていた妻リクは、朝自分が結んだ袴の紐と違う結び方をしているのに気付いて、蔵之助の浮気を見抜いたという脚本になっていました。もしかして、奥ゆかしい日本女性が考え出した知恵でしょうか。自分に合った(きつくなく)奇麗な結び方で良いのではないでしょうか?
 我が娘たちはお正月には本を買って来て、元旦の帯はこの結び方、2日はこの結び方にしようと話しています。まずは自分なりの結び方をマスターすれば良いと思います。

 子供の結婚式では、母親や祖母は黒留袖、父親、祖父はモーニングが多いようですが、何故夫婦で同じ和装か洋装に揃えないのでしょうか?多くの女性は『洋装ではスタイルが悪いから‥特に夜のイブニングドレスは着れない』と弁明しますが、中年男性も同じですね。私の子供心には、冠婚葬祭の時,紋付袴姿のカッコ良い祖父の姿が今でも残っております
 妻が黒留を着るときに、夫の略礼服だけは止めましょう。

羽織紐
 慶事の礼装用には必ず白の羽織紐を用います。
 左は、平打ちのもの

  中央は丸組の白羽織紐。
  右は、女性の真珠のネックレスを2重に(ワイヤーを入れて、乳を付け)デパートで加工してもらいました。なかなか好評です。

 なお、弔辞のときには白でなく、ねずみ色と言う人もいます。地方により異なるようです。

 我が家の家紋『石川笹竜胆』です。竜胆の花と葉を象った文様より転用したものです。
家紋について 
 笹竜胆は平安時代村上源氏の代表的な家紋となり、江戸時代はこれが源氏の家紋のように考えられ、清和源氏の子孫と称するものが競って家紋とする傾向が生まれたと記載されています。
 丸い枠の中に、様々な事象を意匠化した家紋は
黒紋付きと喪服についてはきものseverを見てください。
    未婚女性の第一礼装は振袖(既婚女性も着ていますよ)です。成人式に初めて着物を着ると、着付けの人は忙しので早くしますし、着崩れしないように強く締め付けます。母親は『高い着物を汚さないように』と注意します。初めて着る和服が第一礼装では、二度と着物を着たくなくなるでしょう。呉服屋さんが、最初に着物を着る人に,値段の高い第一礼装を勧める事も着物が普及しない原因ではないでしょうか?最初は普段着を着て、慣れましょう。
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた