男 の 着 物
準礼装
  威厳のある第一礼装に比し、準礼装は個人の品格と優雅さが表現出来ます。紋を1つ以上つければ、準礼装と考えれば良いのではないのでようか。または第一礼装の羽織をそのまま着て、長着を1つ又は3つ紋にします。結婚式の新郎や親以外なら準礼装でも良いのではないでようか?結婚披露宴(主賓で招かれた場合)、初詣、結納、お祝い、卒業式,謝恩会、孫のお宮参りなど殆どの催しに着られますので,楽しく且つ便利です。

お召しに縫紋を3つの羽織(鈴源織物の秀雅お召し)と長着(鈴源織物の霞お召し)に、仙台平の袴です。お召しの色と柄は沢山あり、選ぶのが楽しい着物です。半襟も色あわせ出来また着易い着物です。お召しの羽織や長着を変えても粋に着れます。私はお召しが好きです。
 これなら色留袖と略同格です。

 3つ縫い紋、緑色のお召しの羽織に、単衣の一つ紋の長着、茶色の仙台平袴です。
 職員の結婚式です。両手に花です。結婚式の振袖は華やかでいいですね。普段の看護婦さんとは違います。洋装では,どんなにおめかししても振袖にはかないません。

   孫のお宮参りです。
 3つ紋のお召しの羽織と長着に仙台平の馬上袴です。羽織の紐も紺にしました。長いお宮の階段を登り、写真屋に行き、お祝い膳を囲みます。動きやすい馬上袴が便利です。
2003年遠石八幡宮への初詣
お召しの3つ紋付きの長着に羽織(鈴源織物の霞お召し)、
袴の準礼装です。
長男の結納
 夏の第1礼装の羽織(絽の打ち抜き白五つ紋付)に単衣の1つ紋付の着物に、絽の仙台平の袴。
夫婦で結婚式に参加
(横浜パークロイヤルホテルにて)
長女の結納
縫い紋3つのお召しの着物と羽織に仙台平の袴。
  略礼服に甘んざるべし!『帯に短し襷に長し』、と言いますが、女性の色留袖と男性の略礼服では、『月とスッポン』ではないでしょうか。

職員の結婚式
お召しの着物と羽織に3縫い紋、袴で
 私や私の兄弟の結婚式の写真を見ますと、略礼服は無く、モーニングでした。最近の若い人に尋ねると、『結婚式では略礼服が常識であり、略礼服を着なければならない』と答えます。そして社会人になれば、略礼服を購入しなければならないと思っている人が多いのには驚かされます。略礼服は1万円以下、ネクタイは100円ショップで販売される時代です。
 略礼服なんてのは戦後、燕尾服とかモーニングなんてものが一般の人の手に入らなかった時に作られたわけでしょ。敗戦国日本が外国への賠償金を支払うまでは、『略礼服一着あれば冠婚葬祭全て可能だ』との宣伝で日本の洋服屋さんが考案したものです。いつまでもそれじゃ、なんか貧しいいじゃない。頑張ってせっかく豊になったんだからもう少し遊んでもいいと思うね。戦後の混乱期に一生懸命合わせることだけが、マナーじゃないんだからさ。【日本放送出版協会発行、NHK作法の極意より】。
 略礼服は礼装にあらず。無礼な、非礼な、失礼な装いと世界の多くの人々が認識しています。日本の常識略礼服は世界の非常識、即刻やめるべきです。ブラックスーツに白ネクタイは赤恥
 紺のスーツでお洒落して着て行くと『こいつ礼儀を知らないのか?安いのだから略礼服くらい買え』と白い目で見る日本の常識を変えませんか?
 定められた服を,定められた様に着るのが、封建時代の服装でした。戦後は終わり、民主主義の世です。自分の略礼装は自分自身の自由な意志で、何の制約もなく決めれば良いのではないでしょうか?略礼服はお通夜と葬儀には便利です。このような経緯で生まれた略礼服を喜びの結婚披露宴には着用しないようにしましょう。略(準)礼装にしましょう。
   略礼服に、ズボンをモーニングの縞ズボンに替え、立衿のシャツとアスコットタイで昼の礼装(デレクタースーツ)になります。又は紺のスーツにお洒落なネクタイに小物なら略礼装になります。しかし和服こそが、国際社会には最高ではないでしょうか。

副校長として看護学校卒業式に出席(病院裏庭にて)

高村正彦氏(元外務、法務、国務大臣)
長男結婚披露宴にて
3つ縫い紋お召しの羽織りに
単衣の1つ縫い紋の長着
真珠の羽織り紐

       

右は孫の宮参り
祖父の33回忌の法事にて、紬の着物に黒羽二重の紋付羽織で出席。     半袈裟


   半袈裟とは(3点セットとは)
(ボロ切れだった袈裟)
 お寺参り、仏壇やお墓参りなどをする時には、半(輪)袈裟と念珠(数珠)を所持着用します。宗派が違っても自分の所持している半袈裟を着用してかまいませんならば、お寺さんはもっと半袈裟の普及と啓蒙に力を入れて欲しいものですね。(総代には配布されているようですが、門徒は入手方法さえ分かりません。)
 冠婚葬祭の本を読むと、喪章を付けるようにと、記載されていますが、袈裟の記載はありません。喪章は戦後経済復興が始まった頃に、略礼服と同時に出来たものです。
真言宗の法事は家での読経と墓場での読経で約2時間半もかかりました。
昭和50年頃までは、子供の入園式や入学式に始まり卒業式に至るまで、母親は紋付きの羽織をかけて出席していたのを、覚えています。
15分あれば袴まで着れます。結婚式では子供にも私が着せますので,良く呉服屋さんと間違われます。
 呉服とは、呉の国から来た織物女工が織り出した絹織物のことを呉服(くれはとり)と言ったそうです。その後、麻や木綿の織物を”太物”、絹の織物は”呉服”と呼んだのが始まりと言われています(古事記、日本書紀より)。今では日本の伝統衣装ですので、”和服”とか”着物”と呼ぶ方が良いのでは、、、
 戦前までの商品流通の少なかった時代は、各地で養蚕や織物業が盛んであり、各地で第一礼装や晴れ着が作られていました。しかし現在は着物は衰退し、僅かの地方でしか生産されていません。特に第一礼服、準礼装を作る産地は殆ど無くなりました。残念です。
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた