坊ちゃん列車                                       

 松山城築城400年を記念して、2002年伊予鉄道に待望の『ぼちゃん列車』が復活しました。”停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買えた。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ”これは夏目漱石の小説”坊ちゃん"の中の余りにも有名な一節ですが、漱石が乗ったその汽車は、それ以来、”坊ちゃん列車”と呼ばれて親しまれ、明治21年から昭和29年に至るまで、67年間にわたって活躍し続けました。それ以降は電車にバトンタッチされたが、今回その”坊ちゃん列車”が実に48年ぶりに復活しました。興味深々、紬の着物に、久留米絣の袖無し半纏に、野袴に、米沢紬のインバネスのコートで行って来ました。

柳井港から松山まで、防伊汽船で2時間20分の船旅です。
 道後温泉の”からくり時計”
1時間毎に音楽と共にからくり時計がせり揚がり、小説”坊ちゃん”の登場人物の坊ちゃん、マドンナ、温泉に浸かっている人々などの人形が次々に現れる。最後にマドンナが道後の観光案内をしてくれ、3分間楽しませてくれました。

右から赤シャツ、マドンナ、美遊人、坊ちゃん、警官も一緒に記念撮影
この方たちは観光協会の街頭案内係です。
夏目漱石が乗った列車と共に、坊ちゃんやマドンナ、赤シャツも立ち現れ道後温泉駅から松山市駅までの旅情が楽しめました。
学生帽のような帽子に、黒マント姿の明治時代の車掌さん
↑松山の繁華街、大街道(上)↑
松山城を背に県庁前を行く”坊ちゃん列車”(右)→



秋山兄弟の生家
秋山好古陸軍大佐像
愚陀佛庵は、夏目漱石が明治28年4月、松山中学校の英語教師として赴任していたときに下宿していた二階建ての住まいを復元し再現されたもの。
 漱石の同級生の正岡子規が病気療養のため帰郷していたが、漱石のすすめで、この愚陀佛庵にひととき居候。
 子規は階下、漱石は二階に、52日間、一つ屋根の下で暮らした。

松山城の大手門にも別のマドンナが待っていました。
明治時代の警官が撮影してくれました。
お気に入りの坊ちゃん列車グッツを持ってのピースで顔が写らない孫
松山城
1603年賎ケ岳七本槍の1人に数えられた加藤嘉明によって
築城された名城です。
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