5月、芭蕉の辿った奥の細道(陸奥の国)へ紬の袷の着物、袖無し羽織りに野袴で出かけました。”月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。 ”芭蕉は、旅に生き、旅に死するの境地で、辞世の句も『旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る』でした。HPおくのほそ道旅日記(千住sinさんのHP)は良くまとめられております。
仙台 芭蕉が仙台を訪れたのは1689年5月4日でした。

”やまびこ”にて、東京からへ仙台へ。

ドラえもんの本を読みながらの2時間。
元気一杯、全く寝ない。
青葉城の伊達政宗の騎馬像
1610年政宗によって築かれた仙台藩62万石伊達家の居城。加賀前田100万石、薩摩島津77万石に次いで全国3番目の大藩であった。
”荒城の月”
岡城本丸跡の滝廉太郎像

豊後竹田の岡城跡
文治元年(1185)緒方三郎惟栄(これよし)が、源義経を迎えるために築城。天正14年(1586)から島津藩3万700人の3回に及ぶ攻撃にも落城しなかった。難攻不落の名城

「荒城の月」は、この岡城阯をイメージして作曲された。
(1) 春高楼の 花の宴
  めぐる盃 かげさして
  千代の松が枝(エ) わけいでし
  昔の光 いまいずこ

(2) 秋陣営の 霜の色
  鳴き行く雁(カリ)の 数見せて
  植うる剣に 照りそいし
  昔の光 いまいずこ3) 今荒城の 夜半(ヨワ)の月
  かわらぬ光 誰(タ)がためぞ
  垣に残るは ただかつら
  松に歌うは ただ嵐

(4) 天井影は かわらねど
  栄枯は移る 世の姿
  写さんとてか 今もなお
  ああ荒城の 夜半の月
青葉城跡の土井晩翠像(”荒城の月”を作詞)
松島






ほととぎす
鶴に身をかれ 松島や









807年坂上田村麻呂が東征の際に、建立したと伝えられる五大堂 チャーター船で松島湾島巡り、
カッパ海老煎でカモメと戯れる。
石巻
                サン・ファン館
サン・ファン・バウテイスタ号は1613年伊達政宗の命で石巻からローマへ派遣された支倉常長ら180名を乗せた慶長使節帆船。その船を完全復元した船。日本で初めて太平洋を往復した。
作並温泉
岩松旅館
露天風呂
レンタカーのエルグラントと作並温泉の創業1625年の由緒ある岩松旅館にて。エレベーターで行く広瀬川沿いにある天然露天風呂は、のんびりと旅の疲れが癒される。
毛越寺(もうつうじ) 平安時代の臨池伽藍跡と浄土庭園







夢の跡

(つわもの)


夏草や







芭蕉は、非運の義経主従をしのび、この句を読んだ
850年慈覚大師によって開山、藤原基衡が再建し、最盛期には中尊寺を上回る40余りの伽藍が立ち並んでいた。対岸まで橋を架け、池には竜頭げき首の船を浮かべて歌舞音曲を奏でたと言われています。再三の火災で焼失した。
         わんこそば
芭蕉館の名物わんこそば、秀衡塗りの器に盛られた
一人前24杯のそばに10種の薬味が付く
中尊寺  藤原清衡が再興し、平泉文化の象徴として一大仏教王国が築かれた。






光堂
降り残してや 五月雨の








1124年の造立、皆金色の阿弥陀堂で、内部の装飾に目を奪われる。4本の巻柱や仏壇、長押まで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫りの金具、漆の蒔絵。
金色堂の覆堂 経堂

芭蕉像と 中尊寺の中心本堂にて 桜の咲く大月堂
鳴子温泉
                 鳴子温泉吟之庄
1000年以上の歴史があり、湯量は豊富、350を越える泉源、
7つの泉質の鳴子温泉。内風呂はアルカリ性単純温泉、露天風呂は硫黄泉と異なる二つの泉質が楽しめる。
日本こけし館 鳴子のこけしは、首が廻り、音がする。
こけしの製作 こけしの絵付け こけしのおひな様
尿前ひとまえの関  旧出羽会合の仙台藩の関所。










尿
(ばり)









芭蕉は1689年5月15日仙台領
尿前の関を越え、出羽国へと旅路を急いだ。
 尿前の関は、鳴子町にあり、陸奥と出羽の国を結ぶ交通の要所であると同時に、軍事上においても重要な位置を占め、元和年間(1615〜1624年)
の末になって、関所が尿前の遊佐氏屋敷の内に移され「尿前の関」と呼ばれるようになった。夜中は鍵をかけて通行不能にした。芭蕉は、尿前の関
で厳しい警固の中、手形不携帯のために怪しまれ取り調べを受ける事態となった。
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた 初秋
初冬