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静かな美しい山里に突然赤い鳥居が現れる。ここが高天原かと思う、 |
かっては仏堂、仏塔が建てられて、高野山詣での時には最初に
当社にお参りするのが習わしでした。しかし神仏分離令で壊された。 |
輪橋が地上界と天上界を分けている。紅葉がきれい! |
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桜門(室町時代) は、女性の神様らしく優しく、
清々しいご神気が漂う神社。農耕の神様 |
真言密教の根本道場を探していると、白と黒の神犬を連れた比売の
化身の狩人が空海の前に現れて、高野山へ導いたと言われている。 |
5輪塔婆の中に、 光明真言がサンスクリット語で書かれている石板
「おん あぼきゃ べいろしゃのおまかむ、、、 |
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大 門 |
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”CAFE客殿”にて地元野菜中心の定食、卵が特徴、築80年の古民家 |
開山以来、表玄関の役割を果たす高野山の総門。
九度山町の慈尊院から続く町石道の表参道を登ると、ここからが山内となる。 |
左右には金剛力士像が安置されている。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われている。 |
壇 上 伽 藍
弘法大師・空海が高野山を開創した際、最初に建立したのが壇上伽藍といわれている。 |
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三鈷の松:空海が唐から帰国する際に、明州の浜から「密教有縁の地」を求めて三鈷杵を投げた。その三鈷杵が高野山の松にひっかかっていたことから、高野山を開いたとされる。三葉の松葉を拾って持ち帰る人 |
高野山全体の総本堂である「金堂」。高野山開創当初に弘法大師が建設したお堂で、古くは講堂と呼ばれていた。現在の建物は、7度の再建を経て昭和7年(1932年)に完成したものです。薬師如来は高村光雲作 |
読経する僧侶たち |

根本大塔:真言密教の根本道場である伽藍の中心たる建物。
本尊の大日如来を中心に金剛界四仏を安置している。
16本の柱絵と壁画は堂本印象画伯の筆による。
東に胎蔵界を表す根本大塔を、西に金剛界を表す西塔を置くという真言密教の教義を現した独特の伽藍配置を持っている。
816年着手し887年に完成した、高さ50m、30m四方、
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西に金剛界を表す西塔
887年光孝天皇の勅命により、建立、1834年再建された
左右の石灯籠は花岡青洲の寄進による。
⇦大火での類焼を免れた持国天像(東)と多聞天像(北)が再び安置され、その期に増長天像(南)と広目天像(西)が新造された。
現在は四天王像が伽藍全域を守護している。 |
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五間二階の楼門・中門:天保14年(1843年)に大火で焼失し、平成26年(2014年)に高野山開創1200年を記念して再建された。 |
金 剛 峯 寺
高野山末寺3600カ寺、信徒1千万人の総本山 |
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歴史に名を残す絵師の筆による豪華な襖絵で飾られた部屋、秀次自刃の間などを拝観できる。 |
1593年秀吉が母堂の菩提の為に応其上人に命じて寄進したが、
火災で損失し、1863年に再建された |
国内最大級の石庭「蟠龍(ばんりゅう)庭」:雲海の中に左に雄、右に雌の1対の龍が向かい合ている。石は四国の花崗岩、雲海を表すのは京都の白川砂 |