南極観測船しらせが徳山RC60周年記念行事として2011年徳山港へ来ました。
 砕氷艦「しらせ」は、海上自衛隊に所属する自衛艦で、南極地域観測協力を行う我が国唯一の砕氷艦であり、物資及び人員の輸送、観測支援などの任務があります。
 我が国の南極地域観測事業が開始されたのは、昭和32年(1957年)7月から昭和33年(1958年) 12月までの18か月間にかけて実施された国際地球観測年への参加が契機となり、この間海上保安庁の「宗谷」が輸送を行いました。敗戦から12年の日本が、白人以外で唯一の国の参加したことは、世界に復興した日本をアピール出来ました。 しかしその間、1957年2月氷に閉じ込められ身動きが取れなくなった宗谷は、ソ連のオビ号に助けられたり、1958年悪天候の為に15頭の樺太犬を置き去りにし、翌年太郎と次郎の2頭だけが奇跡的に生存していました。1度も昭和基地に接岸出来なかったり、砕氷船としての評価は敗戦国日本の実力でした。第6次観測をもって打ち切ることが正式決定され、昭和37年(1962年)2月8日昭和基地の閉鎖、人員資材の撤去を完了、4月17日「宗谷」の東京港帰着をもって南極地域観測事業は一旦打ち切られました。
 その後昭和40年(1965年)に、南極地域観測を再開し、輸送は防衛庁が担当することが決定され、老朽化した「宗谷」に代わり、 新砕氷艦「ふじ」が昭和40年(1965年)3月18日進水、同年11月20日に第7次観測のため南極に向け出港しました。1983年から2008年にかけて『しらせ5002』が25年間の長きにわたり活躍し、その間3万馬力のエンジンと3軸のスクリューによって厚さ1.5mの氷を時速3ノットで連続航行していくことが可能な性能を持っていたことにより、氷の中で身動きが取れなくなっていたオーストラリアの砕氷船を2回救出するなどの活動も行っております。
 
『5003しらせ』は2009年5月に就航した。南極昭和基地への接岸回数は宗谷(6回中0回)、ふじ(18回中6回)、しらせ5002(25回中24回)、しらせ5003(10回中8回)です。
     
   船長の椅子  操舵室
 南極観測しらせの説明    南極の石
  船上でのレセプション、船長の歓迎の挨拶 周南市長の答礼の挨拶 
     海上自衛隊呉基地隊員による演奏
 船長と、南極の氷で作った水割り、溶けると『プチ、プチ』と音が出る    
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
柳井
ゆかた 初秋