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仁王門:午後3時30分から借り切りです。
重層、入母屋造の大きな門は高さ18,7mにも及びます。 |
通常非公開の金堂(国宝)や経蔵(国重文),九所明神(本殿は国重文)、五重塔・初層内部(国重文)等も拝観出来た。 |
黒書院 |
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御殿回廊
渡り廊下で白書院・黒書院・宸殿・霊明殿が結ばれ、趣の異なる二つの庭園(苔と白砂が綺麗)が見事で往時の面影が随所に残されています |
霊明殿は、仏堂で仁和寺歴代門跡の位牌が祀られている。
仁和寺を建立した宇多天皇をはじめ、代々の天皇が退位後に、住職(門跡)を務めたことで、門跡寺院として「最高位の格式」を保ってきた。 小さいながらも極めて高貴な位牌に、思わず手を合わせてしまいます。 |
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御室流は、世界文化遺産、総本山仁和寺を創建された初代門跡、第59代宇多天皇(寛平法皇)を流祖と尊崇し、伝承されている華道流派です。
さらに「花は華なり、心なり。」 の言葉のように、花は私達に人生の深さ、素晴らしさを教えてくれます。
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黒書院
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| 5重の塔の内部、心柱も拝観出来た。 |
経蔵(重要文化財):内部に釈迦如来・文殊菩薩が安置されている。
角形の回転式輪蔵(りんぞう) |
御影堂:鐘楼の西に位置し、弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置している。 |
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南庭の上に輝く満月
神秘的で素晴らしい中秋の名月 |
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宸殿(しんでん)での 1の膳、美味しい精進料理です。
お酒もお好きなだけ、ツアーに含まれていた。 |
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国宝の金堂
仁和寺の本尊、阿弥陀三尊が祀られている。 |
仁和寺一番の絶景!
夕食をいただいた宸殿(しんでん)から北庭を眺める、奥は仁和寺の五重塔1644年、徳川三代将軍家光の寄進によって建てられた |
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宸殿の床の間には、寛永9(897)年に譲位、後に出家し仁和寺第1世宇多法皇となった宇多天皇の掛け軸がある。
特別にここで、本格的な精進料理を美味しく味わった。 |
御殿の白書院が観月会(10月1日)の会場。ここから目の前に南庭の白砂が広がり、その向こうの勅使門の上空に中秋の満月が昇った。
仁和寺の僧侶たちが白砂の庭を踏みしめ「真言声明(しょうみょう)」の、おごそかで迫力のある、うねりのような声が響きわたる中、平安の昔に浸りながら、心静かな30分であった。こちらの白書院には一般参拝客は外廊下のみで、座敷内には踏み入れることは出来ない特別の会場 |
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明治維新と御室派箸蔵寺:御室派とは京都の仁和寺を総本山とするお寺の集まりです。真言宗では、お互いが認め合っている本山は十八あります。箸蔵寺は金毘羅大権現様をお祀りしている神仏(しんぶつ)習合(しゆうごう)のお寺です。このようなお寺は現在では珍しいですが、江戸時代までは仏教と神道は結びつきが強く、多くの寺院にお宮が祀られたり神社に神宮寺(じんぐうじ)が建てられたりしていました。 しかし、明治維新で武家中心の世の中から天皇を中心とする世の中へと動き始めると、天皇の力をより大きくするために神仏分離(しんぶつぶんり)という政策が行われました。神道を仏教から切り離し、独立させるという政策です。これによって多くの神仏習合のお寺が解体されました。讃岐のこんぴらさんが松尾寺(まつおじ)という真言宗のお寺から分離され独立したのもちょうどその時です。また、神仏分離の政策により、廃仏毀釈(はいぶつきしやく)という仏教を弾圧する激しい運動が起こり、衰退していったお寺も少なからずありました。
衰退しなかった理由は、箸蔵寺が御室派であるということです。当時の仁和寺の門跡は、最後の皇室出身者である純仁(じゆんにん)法親王でした。親王は勅命により還俗(僧侶をやめ俗世間に戻ること)し、小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王として戊辰戦争(ぼしんせんそう)で旧幕府軍を討伐する官軍の大将となりました。「宮さん宮さん」の歌で錦(にしき)の御旗(みはた)を掲げる総大将その人です。つまり、新政府側であり、なおかつ天皇ゆかりの方が御室派のトップであったことが、箸蔵寺が神仏分離を免れた大きな理由です。戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したと言われています。箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっているのかもしれません。現在箸蔵寺には、親王自筆の「金毘羅大権現」の神号がお軸として残っています。
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