後方は蘇我氏が住んでいた甘樫の丘
644年11月蘇我蝦夷と入鹿は、家を甘樫の丘に並べて建てた。甘樫の丘一帯を軍事要塞化し、それを守る主力部隊が漢直(あやのあたい)であった。
蘇我氏の唐や百済、新羅、高句麗との協調路線が滅びると、中大兄皇子らは百済重視の路線へ進み、唐−新羅連合軍と白村江で戦い、大敗すると、唐の報復を恐れて防人、山城を作り防衛するようになった。 |
入鹿の首塚と言われる五輪塔。
645年6月12日板蓋宮で中大兄皇子と中臣鎌子(後の鎌足)らは、三韓(新羅、百済、高句麗)からの進貢の使者が来日した儀式の最中に入鹿を暗殺した。斬られた蘇我入鹿の首がここまで飛んできたと言われている。 |