風待ちの港・北前船
潮待ちの港 隠岐
風待ちの港


 古事記(712年)の国産み神話によると、イザナギノ命とイザナミノ命が3番目に産んだのが隠岐である。ちなみに最初は淡路島、次いで四国、隠岐の後は九州、壱岐、対馬、佐渡、最後に本州が誕生したとされている。また古事記には、大黒さまが助けた因幡の白兎は隠岐からワニの背中を渡って来たと記載されている。
 律令制度の下で隠岐の国と定めれて、宮廷文化がもたらさえた文化的な島としても知られている。以来海上交通の拠点として栄えてきた。
出雲そばを食べて、隠岐の島へ
出雲空港から30分で隠岐空港へ
隠岐の玄関口である島後(隠岐の島町)の西郷港に入港する
鬼太郎フェリーで




汐待ち通り

水祖(みおや)神社:川や水源地等の水を司るまた航海安全の神様。



八尾川のかっぱ遊覧



隠岐家住宅(重要文化財)  隠岐国駅鈴ー奈良時代の742年駅伝制度が制定され、中央政府から隠岐国府に駅鈴が頒された。都と諸国間の交通路上に5里(20km)毎に1駅を設けて駅馬、伝馬を常備し、官人が定められた公用旅行の場合は駅鈴を身分証明として人馬を徴用し、駅毎に乗り継いで旅行をした。向かって右は、甲音770g.左は乙音700g、この2口の鈴の音は唐時代の古楽器の2音階に合致している。




玉若酢命神社
玉若酢命を主祭神とし大国主命、須佐之男命を祭ってある。 屋根は大社造りに似ているが隠岐にのみ存する独特の隠岐造りの神社

             左:県下一の八百杉



聖武天皇の詔により建立された隠岐国分寺跡 後醍醐天皇行在所跡:西ノ島の黒木御所と言われていたが、明治末に史学者が言い出した

モ−モ−ド-ムでの牛突 かぶら杉:杉の根本から6本に分かれている。


白島展望台
島後の最北端に突出した白島岬。この近くで黒曜石(石器や祭器の道具として使われた)がある。

水若酢命神社
隠岐の国の一宮である。 本殿は隠岐造り


島前の中ノ島

正面と左が西ノ島、右が中ノ島 標高164mの金光山山頂からみる中ノ島、その向こうが西ノ島


後鳥羽院

後鳥羽天皇1180〜1239年、第82代天皇、在位1183〜1198年は、承久の乱を起こしたが失敗し1221年隠岐に流された。子供の順徳上皇は佐渡に流され、土御門上皇も自ら望んで土佐に遷った。安徳天皇(1178〜1185年)と在位が2年重複している。

後鳥羽上皇行在所、ここで19年過ごし、院の心の支えは和歌の道であり、【蛙鳴く 勝田の池の 夕たたみ 聞かましものは 松風の音】と詠われた。

隠岐神社:後鳥羽上皇を祭神として祀られている。



西ノ島

黒木御所
後醍醐天皇は、1288〜1339年第96代天皇、在位1318〜1339年、元弘の変により隠岐に流された。1333年隠岐を脱出し、鎌倉幕府を倒した、建武の中興といわれる。
黒木御所跡:後醍醐天皇が1年間過ごされたところ



由良比女神社


祭神がご渡海の際に、海に手を浸した所、美しき姿を見て烏賊が噛みついた。その非礼を詫びて烏賊が寄るようになったと伝えられている。


赤尾展望台

国賀浜

通天橋:岩の中央が海触作用でえぐり取られたもの

魔天崖:高さ257mの大絶壁



超高速船レインボーで 隠岐空港から出雲、大阪へ



 竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属している。隠岐島からは北西約157Km、竹島は2つの小島(西島、東島)と、これを取り囲む数十の岩礁で構成されている。この2つの主島は、いずれも海面から屹立(きつりつ)した峻険な火山島で、幅約150メートルの水道を隔てて東西に相対している。面積は全ての島を合わせても約0.2平方kmの大きさしかない。
竹島問題研究所



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